pj-sinの日記 3rd season

jazzとfusionとrockを愛してやみません

鯨の目

Nさんはいつも白ずくめだった。白の靴に白のサファリスーツ、そしてトレードマークの白のハンチング。怪優、妖優などと言われるテレビで見る視線だけで人を震え上がらせるような目ではなく潤んだような優しい目だった。もっとも日本で屈指の高級飲み屋街で飲んでのお帰りだったということもあろうが。東大をあっさり中退して別の上級国立大に転校、そこも退学して俳優の道に進まれた。一緒に飲みに出られるお友達がバイト先のマスターと小学校の同級生という縁でのご来店だった。

 

口数は少ない方だった。それで十分だった。声はそれこそ主役を取って食ってしまう程の独特なうねりのある低い声だったが、さすが日本のトップ俳優、目だけですべての会話ができたのだった。国民的時代劇ドラマに謀略を尽くして主人公たちを苦しめる貴族役で途中から出演され、マンネリになりがちな長寿ドラマに見事に風穴を開けるなんてのは朝飯前、私の生涯ベスト3から絶対外れることはないだろうテレビドラマの敵役刑事をコミカルに演じられて当時人気沸騰の「刑事モノ」の流れを大きく変えられたのもお見事だった。世が世なら当然海外に出られていた方だった。

 

お店に来られると深くソファに座り、腕を組み、ご来店に色めき立ってテーブルに群がるママや女の子の話を「ウン、ウン」と優しそうな顔をして聞いておられた。それでいてカウンターの中にいる目立たない私に「チーフ!飲んでるか?飲めよ、ママ酒作ってやって」と声をかけていただいた。いただいたお酒を飲んでしまうや否や、目の動きだけで「もう1杯飲めよ」と指示が飛んだ。恐るべく気の回る方だった。興が乗られると1曲歌って下さった。あの声で、である。

 

その日私は全くツイてなかった。ゼミの1科目だけを残して留年が決まり、電話で伝えた母親にも呆れられ、挙句の果てにヤケで入ったパチンコ屋でもすっかりイカれ、有り金全部使ってヤケ酒を飲むしか残された道はなかった。誰にも会いたくなかった。やみくもに入ったスタンドバーになんとNさんがおられた。お友達と飲んでおられたが入店した私に気付かれるや否やすぐに隣に来られた。どうした?よく来るのか?マスター、オレが飲んでるのと同じやつをダブルでな。濃い目だぞ、濃いめ、などと笑顔で優しく言って下さった。人生のどん底(その後もっとどん底はありましたが)と思っていた時にこのご対応、地獄に仏とはまさにこのことで乾杯をしてくださったのに不覚にも涙が出てしまった。

 

もちろんNさんの目を誤魔化せるわけもなくすぐに気付かれてしまった。酒席を汚し叱られると思った。蛇に睨まれたカエル、観念した。しかし・・・。

「つらい時は、酒はゆーっくり飲むんだ」

優しい笑顔でそうおっしゃると自分の席に戻られた。

 

お帰りになる時にお別れとお礼をたどたどしく申し上げると、また優しい笑顔で私を見た後、「マスター、コイツが欲しいっていうものなんでもやってくれ。オレのツケだぞ」と言って下さった。もちろんNさんのツケで飲めるはずもなく貧乏学生はそのままスゴスゴとお店を出た。バスはもう終わっている時間でタクシーで帰れるお金はなく町外れの下宿まで歩いて帰るしかなかったがつらくはなかった。心に大きな光を灯していただいたからだった。

 

その後Nさんにお会い出来ることはなかった。天才にありがち、早逝されたのだった。今の私ぐらいの年齢であった。

 

凄い人の、凄さと優しさを教えてくれた方だった。